THE BLUE PUPPETTER

21/07/2009

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「ノーブレス・オブリージュ」とは何か?

 さて、ここで貴族の「領土」とか「年金」とは何かを考えてみると、実はその大元は「租税」であることに注目しなければなりません。日本では「税金」はもっぱら国庫に入って公共事業などを通じて社会に還流していきますが、旧態依然たる「貴族制」の下では、諸侯がおのおのの予算をどのように使うかに、一定の権利・権限を保持しています。そういう「貴族」が国全体の立法に当たって「貴族院」で議事を進めるというのは、ある意味で非常に分かりやすい「立憲君主制」の下での二院制であることが、こう考えると明らかになります。

 イギリス貴族としてのナイト、サー・コリン・パウエルには、経済が不況であろうと好況であろうと、それとは関係なく一定の「税収」ならぬ「収入」が入ってきます。これをサー・コリンは、自分の奢侈(しゃし)な生活に使うことも可能でしょう。しかし「イギリスの国税から得られたこれらのお金を、多少の経済の上下動では影響を受けない貴重な財源として、アフリカ系イギリス人の教育のための基金に回そう」といった、高い見識を持つ使い方をすることだってできるわけです。

 常識的な階級社会では、貴族にはこうした判断見識が「当然のこととして」求められました。俗に「ノーブレス・オブリージュ」と言われる、貴族の道義的義務、とでも訳せばよいでしょうか、こうした見識を貴族たちは問われ、その中でとりわけ優れた見識を持つとされる人(というのは建前で、実際にはドロドロした政治が当然あるわけですが)から「貴族院」が構成される、というのが、元来の建前だったわけです。

 紀元1世紀から16世紀近辺まで、ほとんどすべての国は「王国」でした。あるいは諸侯を束ねる巨大な「帝国」も存在しましたが、民主的な「市民社会」のようなものはほとんど存在していなかった(今、紀元後を論じています。紀元前のギリシャのポリス(都市国家)の古代民主制などについてもアメリカの民主主義と同様、次回以降に考えたいと思います)。乱暴に言えば「王様」が権利を独占していたわけです。

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衆議院は何のためにあるか?:日経ビジネスオンライン

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